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益順レジャー農荘
03-8821123

スポットのご紹介

毎日一杯のお茶 もうすぐ60歳に

毎年夏になると台湾東部の金針花の花畑がはじめてお目見えする大地こそ、海抜約800メートルの富里六十石山です。極めて優れた視野を持つ六十石山は海岸山脈に位置し、天気のいい時には花東縦谷の景観を心行くまで楽しむことができます。毎年2か月間の黄色い金針花のシーズンのほか、通常時には緑豊かな山の上で、いつでも山の気に育まれた清々しい香りの優れたお茶を味わうことができます。

山道の指標沿って益順レジャー農荘に到着すると、鄰にある古民家は林家が初期に住んでいた場所になります。台湾西部で八七水害に見舞われた雲林県の閩南人(閩南語、すなわち台湾語を話す人々)は、次々と六十石山に移り住んで金針花を栽培するようになりました。子どもの就学にも問題があり、産業道路も不便なために、多くの家庭が通常は山すそにある竹田に住み、夏休みの農業の繁忙期になると家族全員で一緒に山に登って金針を収穫していました。林俊傑さんの夏休みはいつも金針と共に過ごしていたのです。

茶葉の門外漢から 茶のコンテストでの常勝軍に

農家が金針1品目の農産物による収入だけに頼らないようにするため、また山間部は霧が非常に濃いことから、1990年代から六十石山での茶の栽培を推進するようになりました。林俊傑さんの父は広さ2甲(約1.9ヘクタール)、2万4千株の茶の木を栽培していました。しかし管理する暇がなく、世話を人に頼んでいたため毎年数十万台湾ドルの出費があっても要領を得ていませんでした。当時公共部門は六十石山で金針観光パークを計画し、東屋を建設し道路の修理していました。山の発展も遠いことではないことから、林俊傑さんは茶の世話を引き継ぎ試してみるよう要求されたのです。

茶葉については門外漢であった林俊傑さんは、家族の紹介でベトナムで新たな製茶工場へと赴き、南投県からの茶師について1か月間製茶を学びました。朝から晩まで学ぶことで製茶のプロセスを十分に理解し、家に戻った後には自家生産の茶葉による製茶を開始しました。2年目には花蓮県の製茶コンテストに参加し1等賞を受賞しました。

林俊傑さんの製茶技術が信頼を得ることで、山の上にある茶園も守られることになりました。茶の木は台風で破壊されほとんど新たに植え直す必要がありましたが、茶を理解する林俊傑さんは山の斜面に茶の木を植えて茶園をしっかりと管理し始めました。多くの費用が空振りとなり水のごとく流れていきました。しかし林俊傑さんは幾度ものコンテストで優れた成績をおさめ、加えて山の観光産業が日増しに繁栄してきたことから、民宿と飲食を経営し始めました。一家はついに山の下から山の上へと移り住み、茶園と金針園を身近で管理できるようになったのです。
山上的茶園位在景緻極佳之處
益順休閒農場有餐廳、民宿,採多元化經營。