map
思原魚菜共生農場
野菜
0921-246226

スポットのご紹介

自然の循環で一滴も無駄にしない  過去へと戻るすばらしさ

高雄市旗山区の外環道にある日本式しゃぶしゃぶの店は地元の人気レストランです。豪華なデコレーションはありませんが、食事時間帯になるといつも空席がなくなります。店のこだわりである、フレッシュでナチュラルな食材がカギを握っているのです。ここの野菜はすべて近隣にある思原魚菜共生農場から供給されています。地産地消により、農場へは10キロもありません。オーナーは同一人物であり、1970年代生まれの羅条原さんです。

来年には50才になる羅条原さんは、自分の人生はとても奇妙であると自嘲気味に話してくれました。学校を卒業して社会に出た後、ほとんど6年ごとに大事件が発生しているからです。はじめは養豚場で獣医になり、のちに旗山の実家に戻り両親の養豚事業を受け継ぎました。1997年には口蹄疫が蔓延したことから豚の価格が暴落しましたが、羅条原さん夫妻は複数の職を兼任して何とか持ちこたえました。しかし思いもよらないことに数年過ぎる前に、旗山一帯は政府による水質水源保護区が計画され、養豚家は牧場を離れなければなりませんでした。いったんは抗議に参加しましたが、最終的には現実的に妥協せざるおえなかったのです。

2003年に豚舎を取り壊し、そのたくわえで火鍋店、韓国料理店を開きました。商売が最もうまくいっていたときには5店舗を擁し、このまま順調に行くかと思えば2009年のモラコット台風による台湾南部への甚大な被害により、旗山市街地の3店舗がすべて浸水してしまいました。レストランを再興するため、自分たちの農場で野菜を栽培することを決心しました。毒性フリーの方式を採用し自然な生態の農場を創り出したのです。2015年には魚と野菜の共生で有名になりました。ここ数年はミミズと野菜の共生モデルを開発し、去年国際発明展で金メダルを獲得しています。ますます多くの人が旗山にこんな素晴らしい場所があることを知るようになったのです。

自然の循環で一滴も無駄にしない  率直に言えば「過去に戻る」

食の安全危機が勃発し、社会的に熱心な議論を巻き起こしました。生産者として、また飲食業に従事する羅条原さんは反省し、どのようにすれば消費者を安心させられるのかを考えるようになりました。安全で懸念のない食材を手に入れるために、ストレートに元の生産の道へと戻ったのです。ただし今回は自然循環の生態を備えた農場を選択しました。また当時芽生えたばかりの魚と野菜の共生モデルを導入しようと考えたのです。家庭での小さなモジュールとはかかる費用が違い、0.3坪の土地への初期投資に台湾ドルで数百万円を投入する必要がありました。家族はみな同意せず、妻の林桂年さんがまずはじめに反対の声を上げました。しかし夫の不眠不休での研究、環境に優しい優れた場所について説得し続けるのを見て、はじめに気持ちを変え、夫をとことんまでサポートすることに決めました。

羅条原さんは豚舎の基地があった場所に温室を建て、両側にはそれぞれ魚の住む池を作りました。台湾鯛(カワスズメ)などの品種を飼育し、温室の下部をつなげて間の水が互いに通るようにしました。養殖池の水中には飼料と魚たちの排泄物によって養分が生み出され、濾過後さらに植物の灌漑に用いています。植物の根が養分を吸収した後、浄化後の水はまた養殖池へと戻されます。野菜の栽培に肥料を用いず、農薬も必要ありません。これは絶えることのない循環であり、食物連鎖の概念に類似しています。

羅条原さんはまた「生態栽培タンク」を研究開発しました。水のタンクにパイプを入れ、パイプに穴をあけて厨房で出た生ごみを投入します。外側の土にはミミズを飼育します。植える草花は野菜でも果物でも大丈夫です。ミミズが生ごみを食べた後の排泄物が天然の肥料となり、軽く水をまくだけで事足ります。こうした立体式の栽培方法は半坪大のスペースに満たず、作物は多様化し小規模な家庭での使用に適しています。器材は何度もの改良を経た後、国際発明展で金メダルを獲得しました。今まさに学校、コミュニティで推進されています。自然循環の概念が深く各家庭へと伝わるよう願っています。羅条原さんは実のところ魚と野菜の共生であれミミズと野菜の共生であれ、率直に言うと過去に戻り、自然へと回帰することではじめて絶え間なく生長していくのです、と話してくれました。
當過獸醫、開過畜牧場,轉型餐廳又逢天災,羅條原決定投入自然循環、友善環境的農作模式
在思原魚菜共生農場,可以體驗最自然純粹的農耕方式與生活
來思原魚菜共生農場體驗一日農夫,輕鬆愜意,大人小孩都有收穫
在思原魚菜共生農場裡,要吃啥都自己來,孩子們覺得好新鮮